光悦寺

今日は夏至でしたね^^

京都市内の気温も曇りにも関わらず32度ありました。

相変わらず、盆地のせいか蒸し暑さは否めません。

そんな中、

光悦寺 などに足を運びました。

この寺は、江戸時代の芸術家である 本阿弥光悦 に1615年に

徳川家康がこの地を与えたという。

『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する

物騒な土地であったという。

この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術の集落となり、

光悦の死後に屋敷から寺となり、光悦の墓碑もある。

境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの

茶室が散在し、庫裏に接して妙秀庵がある。これらはいずれも大正時代以降の建物であるという。

確かに建物自体は新しさを感じました。

正門を挟み前後に、とても綺麗な参道が縦一直線に続きます。

この参道!秋の紅葉の季節になれば、綺麗でしょうね^^

本堂ですが、

鰐口を鳴らす為の紐がありませんw

境内順路入り口です。

アメリカ人実業家・ チャールズ・ラング・フリーア (1854-1919)は、

アメリカデトロイト出身。鉄道事業で、巨万の富を得、

日本、中国、韓国などの美術を収集していた美術品収集家で、

集めた美術品をスミソニアン博物館に寄贈し、

その絵画の修復の為に日本人を呼び寄せ育てたとされる人らしいですね。

境内には 本阿弥光甫 (ほんあみ・こうほ)のお墓がありました。

本阿弥光甫 とは誰なんでしょう?

調べてみました。

江戸前期の芸術家で。この寺の創設者の 本阿弥光悦 の養子で、空中斎と号した。

家業である刀の磨礪,浄拭,鑑定の三業を行うかたわら,祖父光悦にならって

茶の湯,作陶,絵画など多才な芸術活動を行っていた多才な人だそうです。

阿弥というと、私には観阿弥・世阿弥(能楽)が頭を過ったので、

お寺のお坊さんに聞いてみました。

それによると、「阿弥」とは室町時代,絵画,茶の湯など諸芸の

専門家の一派で身分の低い人達だということです。

しかし、その優れた才能により、高位の人達に目をつけられますが、

当時は身分制度が厳しく、形式上、毛を剃り、僧侶のような姿になる

ことにより、将軍などにお目通りが叶うようになったとのことです。

その時に付けられる名前が、「◯阿弥」となったそうです。

(南無阿弥陀仏の6字の名号からとった阿弥を名前につけた。)

境内からは、鷹ヶ峰 鷲ヶ峰 天ヶ峰の三山が見渡せ、

これもまた、紅葉の季節を待ち遠しくさせました。

これが鷹ヶ峰三山です^^

拝観料300円

駐車場15台ほど、

京都府京都市北区鷹峯光悦町29
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