
以前、左京と右京について平安京でお話しましたが、
今回は京都の町の、上京(かみぎょう)と下京(しもぎょう)に
ついてお話したいと思います。
上京には、内裏(だいり)(天皇の住まい)や幕府があり、
下京には商工業者が中心に町を作っていきました。
これらは室町時代のお話ですが、そうして賑わいを見せた
京都にも戦乱はつきものでした。
応仁の元年(1467年)!室町幕府の将軍の跡継ぎ争そいから
応仁の乱が起こり、京都の町の大部分を焼け野原にしてしまいました。
なんと、11年も続いたんですね^^;
あ!そうそう、宇治平等院の鳳凰堂と観音堂以外の多くの建物は、
楠木正成が戦いの邪魔になるということで焼け野原にされています^^;
個人的には城や寺院は焼かないで欲しかったと思えてならないのですが、
これも必然という言い方もあるのでしょうか?
皆さんはどうお思いになるでしょうか?
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