恋路橋 と 恋志谷神社

恋路橋 [こいじばし] は、京都府相楽郡南山城村の木津川に

掛けられた石橋で、雨量の多い増水時には、水面下に沈む

為に潜没橋とも言われています。

私が訪れた時も、雨の翌日で水嵩が上がっており、橋のギリギリまで

水面が迫っていました。

 

橋の名前の由来は近くにある恋志谷神社に因むものと言われています。

同様の橋がが割と近い距離の笠置町にもあります。

橋のまわりは、水遊びに来る人々や恋志谷さんの伝説を

知らずにデートの男女も見かける^^

 

橋の名前の由来になった恋志谷神社は

恋愛成就・子授け・安産の神として知られる。

 

地元の伝説によれば、

入り口の鳥居に、石を投げてうまく乗せられたら、

願い事がかなうって言われているらしいです。

 

 

恋志谷神社の伝説は、鎌倉時代末期、倒幕を企てていた後醍醐天皇が、

笠置山に身を潜めた際、これを聞いた天皇の妃(きさき)は、

伊勢で病気療養中だったが、病の体をおし、駆けつけたという。

しかし、妃が到着した時には、すでに天皇は追っ手から逃れるため、

笠置山を跡にしていた。

(当時、帝の行在所は笠置山にあったんです。
今はかなり田舎で、訪問者も少ないみたいですが…。)

 

 

妃は悲しみと長旅の疲れで持病を再発。

「恋い焦がれ、病に苦しむようなつらいことは自分一人で十分。

人々の守り神になりたい」と遺言を残し、この世を去った。

妃を哀れんだ人々が祠(ほこら)を建て、祭った。

最期まで「恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、

愛着を込めて「恋志谷さん」^^;と呼ばれるようになったという。

 

 

毎年四月と九月の二日にある大祭の時は多くの人でにぎわうが、

その祭に、境内にある石を貰って来て、枕元に置くと、

子宝に恵まれるという伝説を地元の人に聞きました。

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