東寺は794年に垣武天皇によって動乱の中、奈良から長岡京を経て
平安京へと都を移された時に羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。
現在の京都は御所をはじめとして、大部分が東へズレてしまっていますが、
東寺はもとの場所にそのまま残っていて一級史跡に指定されています。
東寺は左寺とも呼ばれ、(西寺は現在は実在せず、公園になっている)
弘法大師の住房でもあり、インドのアショーカ王以来の伝統に従って、
仏法によって国の平和が世界の隅々にまでいきわたるようにという
弘法大師の願いが込められています。
弘法大師は高野山を自らの修行の場として開かれ、そこで得られた知恵を
東寺で実践され、水なき処に池を掘り、橋なき処に橋をかけ、道なき処に道をつけ、
食の貧しき者には食を得る方法を教え、病む者の為に良医となられるというのが
大師の一生でありました。
毎月、21日は弘法大師の命日とされ、境内には露店が並び、沢山の人々で
にぎわっているそうです。
参道には金堂、講堂、食堂が一直線に並び、それぞれ、
薬師三尊・十二神将
大日如来をはじめとする、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、
梵天、帝釈天などの匆々たる仏像が鎮座します。
もぉ〜!仏像好きにはたまらない、有名どころが勢揃いです!
そんな講堂へ 古都遊人 はいそいそと出向いたのですが、
な、なんと!!!
梵天 と 帝釈天 、他数名の仏像の席が空白にぃ〜〜〜ぃ!!!
なぬぅ?
また、悪い族に盗まれたのかぁ?
と思いきや、どうも補修にお出かけになられているようで、
お目通りが叶わず、凹!
そう言えば、古都遊人が付いた時から、フォークリフトやらトラックやら
うんにゃん、かんにゃんと慌ただしく出入りしているなぁ〜と思って
いたんですが、コイツらが犯人かぁ〜w
どうやら、ただのトラックではなく、湿度なども管理されていそうな
凄い奴でした。
包帯のような布でグルグル巻きにされた仏像達は恐らく、私の知る由もない
場所に連れて行かれ、綺麗な姿になって戻ってくるのでしょう^^
現地の従業員の方にお尋ねすると、今年の10月初旬に戻って
来られるとのことでした。
また会いに行くので、梵天さん!帝釈天さん!その時までしばしさらばじゃ!