京都から東京へ都が遷された訳!

京都から東京へ都が遷された訳!

つまり、日本の首都が京都から東京へ
遷された訳!

京都人の心情にはいつもそんな悔しさが
心の奥底にあるのではないでしょうか?

久しぶりに日本史を思い返して欲しい。
奈良時代 平安時代 鎌倉時代 室町時代 
安土桃山時代 江戸時代 大正 昭和 平成

と時代は流れて来た。

その間、都は奈良から京都へと遷され
長い間、京都は都として栄えた。

途中、源頼朝により、幕府が関東へ遷ったことは
あったものの、天皇は依然として京都に鎮座していた
のである!

そんな遷都がどうして?
天皇ごと、関東へ移される必要性が
あったのだろうか?

そんな疑問にきちんと答えられる人がそう沢山
いないのではないだろうか?

古都遊人もその一人だった。

しかし、ある文献との出会いからある節を発見した。

孝明天皇の死後、明治天皇が即位され、
皆さんも良くご存知のように、坂本龍馬の仲介の元、
薩長同盟が結ばれ、長い歴史を謳歌した徳川幕府が倒れた。

これは実質的な指導者が幕府から天皇へ移ったことを意味した。
(実質的には政治は幕府が動かしている訳だが・・・。)

そして、何と!

江戸幕府が破れてから明治政府が設立されて僅か10ヶ月後には
天皇は東京へ移られているのである。

この間に一体何があったのだろうか?

ここで、一つ理解しておかなければならないことは、
決して天皇本人が東京への移住を望まれた訳ではないと
いうことである。

一番始めに遷都に物申したのは、あの大久保利通だったと言われている。
大久保の言い分はこうだ!
『これまで天皇は只の雲の上の存在で人間ではないもののような
扱いをされている。
このような悪い風習があったからこそ、今のような悪い状況になったのだ!』
である。
そして、大久保の提案では、遷都は大阪が最も適当であると結論づけている。

これは国民の動揺を避けるため、都を大きく移動することなく、
隣の県への移動としたのだろうか?

しかし、実際は東京へ遷都した!
その訳は?

どうやら、旧幕府軍(会津)の勢力の力が働いたという節がある。

当時、新政府軍は旧幕府群を会津まで追いやり、鎮圧していたが、
実質的には戦況は一進一退であり、攻めあぐねていた。

そこで、新政府軍は天皇を直接江戸に招いて、軍の士気を挙げさせようとした。

また江戸の市民の心をつかむ為であったという節もある。

新政府軍からすれば、都を東京へ移したことによる京都人の批判よりも、
関東人の信頼を得る方が重要だと考えたのである。

一度は反対を押しきり、京都へお戻りになられた明治天皇ではあったが、
新政府の要請により、再び東京へと公務に行かれ、その後を追うように
皇后までもが去られた。

それでも京都人はいつか必ず京都へお帰りになると考え嘆願書を届けていたが、
明治政府の力の前に 税金の一部免除と十万両のお金と引き換えに
天皇を、そして首都の座を失ったのである。

この説の賛否はともかく、
非常に面白く、理にかなったこの説は、
当時の政府の心情を上手く表しているように感じました。

府に落ちた気がします。

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